今は亡きペットの思い出

私は犬に限らず、動物が大好きで、特に、目が美しいと思います。

  キャビー01     ケイ     エル子  
私は物心ついた時から自分の生い立ちと環境のせいかもしれないが人一倍動物に愛着を持っていたようである。
野良猫や捨て犬に全愛情を注いでいたので、近所では、犬や猫の子供を私の家の前に捨てて、私はそれを抱きしめて家の中で飼っていたが、学校に行っている間に捨てられ、ワンワン泣いて・・大人になったら自分と共に生活できる犬を沢山飼いたい(猫も好きであったが、上にのぼって粗相されキャンバスを傷めた経験から)・・
5匹(5頭)、飼うのが夢であった。

父の死後、私が相続して6年間勤めた愛知県横須賀中学の美術教師を退職し、念願のマルチーズ5匹飼った。
夢のような毎日であったが、1匹はテンカンで可愛い女の子であったがすぐに亡くなり思いがけない仕事の忙しさや将来のために、1年余東京を主に名古屋へは給料計算のため月末に帰る生活が続き、残された母が、4匹は大変というので、
1番姿・形が良く、健康優良児のキャビーを親友にもらってもらった。いつでも会えるという感覚で・・・

キャビーを親友宅に母と車に乗せて運び、帰りがけにキャビーが置いていかれることを察して、温厚な顔が目を吊り上げ「わーーん!!」とにらみつけて1声鳴いた。今思い出しても、私をにらまないで母を見て吠えたその心情がとても小さい心を傷つけた罪悪感に襲われ、・・年をえて東京に引っ越して、きてすぐに亡くなったケイと共に友人からキャビーが亡くなってから、骨もなかったけれど、後述する深大寺にホオムリ、ケイの後に友人の助けで飼ったパピヨンをキャビーと名づけた。そうしたわけで、キャビー01とキャビー02が生まれたのである。

キャビー01は友人宅のお母さんにとても可愛がられリボンをつけたり、寒い冬にはちゃんちゃんこを着せてもらった姿の写真を見せてもらったが・・・そうした事情でいつも会えるどころか会っては可愛そうという事で、死ぬまで会えなかった。

本当に、自分は動物が好きなのに、細かい相手の気持ちがくめなくて罪深い人間と思う。

パソコン始めて、偶然見つけたこのページをもっと早く知っていたら・・・

                             

5匹飼ったマルチーズの中で1番やんちゃで自我が強くどうゆう生まれだったのかとても愛情にうえていたのがケイであった。
目はそれはそれは美しく、歌舞伎役者の2枚目にも負けない風貌であったが・・マルチーズといってもいわゆる高級品でない証拠に胴が長く、中犬のように大きくなり、どの犬にももてず、エル子にも最後まで嫌われ、ひたすら私に異常に甘えるのみで、どこに行くにも私はケイを連れ歩いていた。
名古屋に居た時は、仕事、仕事で10年間絵も描けない状態であったから昭和59年9月末に東京に名古屋をすべて引き払い引っ越してきた時はこれから犬とも本当に幸せな生活ができ、絵も自由に描けると思っていたが・・・
昭和59年11月よりケイが下痢や嘔吐で病院通い・・・ここでもいいかげんな医者・・・アメリカ帰りのたて看板でこちらは少しでも直してもらいたい一心で・・体内から何もかも出てしまうから預けて点滴をお願いしたのだが・・・食べてるはずないのに肉を食べたとかうそばかりで引き伸ばし・・・名古屋の元主治医に電話で問い合わせて横浜まで連れて行ったが・・
そこも切りたがるばかり・・でも家においてはすぐに死んでしまうのでとにかくお願いするしかなかったが・・

東京で知り合った友人がその状態では助からないから、病院から連れて来なさいと言う。
点滴しないとすぐに死ぬと私が言ったら
「最期は、主人のそばが1番いいのよ。」と言われ・・・
医者がとめるのも聞かず家につれてきて骨と皮になったケイが床ずれでこれ以上苦しまないように12日間私が徹夜でそっとお餅をひっくり返すように看病して母が朝起きたらバトンタッチで仮眠した。
癌であったらしいが・・・とても苦しかったであろうが「ケイよ」と呼びかける私を最期まできれいな目で私をいたわるように答えるのが本当にこんな悲しみ・・別れの辛さはなかったが緑の多いケイもよく遊んだ深大寺に納骨できて本当によかった。

 

 

 

 

 

 

 エル子はマイペースの子で一人が好き。
猫かでした。私には甘えん坊 で目が合うとひっくり返って足を上げおなかをなぜてくれと要求しました 。
エル子の夫はとても目のきれいなケイちゃんでしたが
彼は癌で亡くなり、キャビーをお友達の紹介で飼いました。

 

 

 

Golden Retriever える'sWeb Siteより

 

 

 

 

 

 

 

 

パピヨン

 

 

 

  キャビー     ジョン  
 とても健康に自己管理のしっかりした子でした。

その後、あまりの可愛さに衝動買いしたジョンを見た時は
怒って3日間すねていましたが、私がなだめたらそばに来て
ジョンの可愛さに目を細めてそれからおしどり夫婦でした。

 
ジョンの可愛さは1口では言い尽くせません。
みんなの紹介は少しづつ載せていきます。
1998年にキャビーが14歳で心臓で亡くなり、
ジョンのその後の生活はあまりにも寂しげで見るに耐えませんでした。

毎日うつろでしたが翌年後を追うように私の銀座での個展終了後
待ちかねたようにキャビーのところへ9歳半で行ってしまいました。

       1999年             金子 譽子
他の犬とはあまり仲よくしたがらない。
エル子は、自分は犬と思っていなかったようだ。
 
 
 
 
 
 
 
ジョンの最期  (みんなで仲良く安らかに眠ってね)
 
 第2回目の個展の前に撮っていただいた写真
(ジョンとの良い思いで)
4歳年上のキャビーに見守られて
ジョンのやんちゃな事といったらなかったが・・・・
もうこういう良い思いでは
出来ない。
遠い昔、7歳の時漫画家になるのが夢でしたが、中学2年になって進学を考えねばならず、
美術学校を目指すことで石膏デッサンをした時ミケランジェロの彫刻と壁画に触れて
画家になりたいと思いました。
多摩美術大学 油絵科を卒業後上野に出品していましたが若いころからの糖尿で挫折をしたり、
入退院を繰り返し、考えあぐねた結果、社交ダンスを始め絵よりも運動中心の20年間の生活でしたが、
丁度競技を見初めてこれを描こうと思い立ち、毎日、ダンス,、それもソシアル以外すべてのレッスンにも明け暮れ少しずつ自分の「華麗なる競技」に近づけています。
そのシリーズ3回目の個展の後に最後の愛犬を亡くし、作品を残す目標と同時に、老いてゆく自分と向かい合った時パソコンを始めようと思いました。
そして、画家生命とも言える注いだこれからの作品を多くのご理解のある方に見ていただきたいとホームページを作ることにしました。
作品は100点をはるかに超えますので更新いたしますから時々覗いてください。

 

 

top Home 自己紹介

 

Copyright(C)華麗なる競技へようこそ