渡辺 孚(まこと)先生

 

1914年 東京・四谷生
東大医学部を卒業後
北大医学部
科学警察研究所
千葉工大人間工学科
日大文理学部
等で研究生活を送り教鞭をとり、
日大文理学部講師であられた。
医学博士

著書

「やぶにらみ人生」(良書普及会)

「犯人を追う科学」(講談社)

「科学捜査官」(毎日新聞社)

「法医学のミステリー」(中央文庫)

その他交通災害に関するものを多数。

 

 

渡辺先生との出会いは20余年前欧州美術クラブのツアーで何度も海外旅行に夢中になっていた頃、
モロッコ・チュニジアのパンフレットを見て参加しましたら少人数でそれも東大でのお医者様のご夫婦のツアーでした。
が、私が行きたいと言っていましたし、常連だったので加えていただけたのと思います。
皆様、学識高く、私が1番若くポッンとしていたのですが、お心遣いが寛容ですぐにはつらつとそのグループにとけこんで、
先生方のお話に目を輝かして聞き入ったり、私もおどけたジョウクや失敗に皆様も目を細めて笑ってくださいました。
その中の渡辺先生がひときわダンディで、ユーモアがあり、
バスの中でも詩と俳句そしてスケッチをされ小さい可愛い花を見つけては私にポーンとプレゼントされたり、
私も苦手な食事も健啖家で千葉で教えて見えたときは学生さんに「食事は気をつけなさい」と
ご自分の奥様手作りの3段重のお弁当をお見せになり頭を良くするのはバランスの良い食生活が大切といわれてました。


そしてお仕事は、医者・弁護士・法医学の関係より解剖や検死などなど・・、
趣味は油絵・バイオリン・ピアノと幅びろく私が先生をお描きして一水会に出した時は大変喜んでくださり、
会場でポストカードを100枚お買いくださり大急ぎで写真店が追加で刷ったので
そのカードと作品を展覧会終了後名古屋より深大寺のご自宅へお届けしたものでした。
その時待ち合わせた場所が深大寺の「門前そば」であり、そこが大変気に入り歩いてみると
「万霊寺霊園」というペット専門のお墓があり、月1度名古屋から自由が丘のマンションに車で来ると
今は亡き愛犬のケイとエル子を連れて通いましたが、こういう美しい環境にペットを収めたいと
ひらりと胸によぎったことが20年前にここに本格的に引っ越してきてすぐにケイが亡くなり本当のこととなりました。

旅行中に私は「マドモアゼル・坊ちゃん」母は「マダム・待ちぼうけ」のニックネームをいただきました。
母といっても戸籍上だけですが、この母のお父さんが医者で妻・子供を残して皿洗いしながら外国へ医学の勉強に行き
博士号を執った人で留守中、残されたおばあさんが下宿人をおいて
その一人に「前田 寛治」さんがいたとかで子供の頃より私がおばあちゃんに絵かきになりたいといってましたら
そのことを聞き「寛治さんはとてもおとなしく、いつもマンドリンを弾いていた」と聞きましたが
美大に入った時、作品に触れてこれはすごいとすっかりとりこになりました。
母の実家には寛治さんのパリに立たれる前の絵が3点ありました。

その後、愛郷さんの長男愛天おじさん(この家では男子に3人いましたが全部「愛」の字と「天・智・人」をつけたので
長男から「愛天・愛人・愛智」となった。愛天おじさんだけが医者になり藤沢で開業して見えた。
モロッコの旅行中に、渡辺先生が北大でということで母が自分の兄もそうでしたということから
お名前はと聞かれ「愛天」といいましたら「珍しい名前なのでよく覚えています。
愛天君は研究途中で家業のため帰ってしまわれたが・・
その後を僕達がついてその研究から12人博士がでました」ということから
大変懐かしく思い出されより渡辺先生との交流が深まり私も先生の絵を一水会に発表した次第です。

お別れしてからずいぶんたちますが、忘れられないお人柄であります。

1991年5月6日1時半渡辺先生の葬儀後に「渡辺 孚の訳詞によるコンサート」が
モーツアルトサロンで行われ新たな涙を止めることができませんでした。

現在、ご長男は、深大寺で開業していらっしゃいますが
オペラに夢中で何人かのグループで発表もしていらっしゃるとのこと・・・さすが、血筋である。


      

 

 

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