KSD中井理事長2年目への決意

      会員サービスを第一に!

KSDは2003年5月1日より、あんしん財団として 生まれ変わりました!!

 

●聞き手アナウンサー山本文郎

昨年3月にKSD理事長に就任して以来、
中井宗夫理事長は中小企業の発展に
寄与するというKSDの原点に立ち返っ
てさまざまな改革を推し進めております。
その内容につきましては本誌で随時ご
報告してまいりましたが、今回はアナウ
ンサーの山本文郎さんを聞き役にお迎
えし、この1年を振り返りながら、改革の
重責を担う胸のうちと就任2年目の抱負
を虚心に語ります。少年時代の思い出
から、地道に歩んできた弁護士としての
生き方など、人間・中井宗夫の素顔を
交えてご紹介いたします。

「無くすのは惜しい」就任妖精を受託

山本 この3月で就任なさってから1年が経ちましたが、そもそも、KSD
理事長にというお話はどういう経緯できたんですか?

中井 (就任時の)記者会見でもお話ししましたが、当時の副理事長からの
強い要請によるものでした。副理事長は警察官出身で、私の旧制高校のク
ラスメートだった土田元警視総監の部下だったんです。それで土田君から
「何か困ったことがあったら私に相談しろ」と言われていたようです。そ
ういうことで、昨年1月下句、副理事長と会ってお話を聞きました。

山本 引き受けるにあたっては、どんなことを思われました?

中井 新理事長にというお話があった時は、KSDをすっきりとした清潔
な財団に戻し、例の不祥事のイメージを払拭するのが、私の仕事だと
考えました。でも、引き受けるにしても、その前に財団の内容を調べ
なきゃいけない。そうしましたら、基本事業が中小企業の発展の一助となっ
ており、その趣旨については会員の皆さまから高い評価を受けている。中小
企業の育成には必要な財団である、無くすのは惜しい、そう強く思いました。
それで財団の再生に私が一役買えればと思って引き受けたわけです。

本が好きな少年時代 父の勧めで法律家の道へ

山本 われわれ会員にとって、実は私も一会員なんですが、中井理事長がど
ういう方なのかわからない、というのが実情ではないかと思います。
それで今日は、理事長が「おぎゃあ」と弧々の声を上げられてから歩んでい
らっしゃった、その過程をお聞かせいただければと思います。
お生まれは何年ですか?

中井 大正9年、1920年です。

山本 私が昭和9年、1934年ですからね。14歳年上でいらっしゃる〜
お元気ですねえ。後ろ姿を拝見しましたらば、何とまあ背がピシっとしてい
る方なんだろうと思いましたけれど。お生まれはどちらだったんですか?

中井 東京府豊多摩郡渋谷町、現在の渋谷の道玄坂辺り、一面畑ばかり
でしたね。

山本 当時の遊びといったら何でしょうね?私らの頃はべ一ゴマとかメン
コとかありましたけれど。

中井 やってましたよ。べーゴマ、メンコ、それにチャンバラ(笑)。

山本 鞍馬天狗とか猿飛佐助だとか流行っていましたね。

中井 あの頃は、その辺、原っぱだらけ。どっこでも遊べた(笑)。

山本 ごきょうだいは?

中井 私は兄と姉の3人きょうだいの末っ子。兄貴とは7歳離れていまして
ね、学校の勉強でわからないことがあれば、兄貴がみんな教えてくれたんで
すよ。

山本 お父さまはどういうお仕事をなさっておられたのですか?

中井 父は陸軍大学校を卒業した上級士官で、陸軍省では長く法務関係の仕
事をし、最終的には師団長を歴任しました。厳しく怖い面もありましたけど、
絶対に手をあげたことはなくて、それほど厳格という印象はなかったですね。
自由に育ちました(笑)。

山本 そうですか法務関係のお仕事を。それで理事長にも法律関係に進めと?

中井 ところが、私は全然そういうのに興味がなかったわけです.私はもっ
と文学や歴史とかに興味があったんですよ。本が好きでしてね。でも、
あの時代はみんな兵隊に憧れて、仲間も士官学校などへ進む。それで、
私も人並みに士官学校へ行くと親父に言いましたら、「お前は法律関係
の仕事が向いている。法務官になれ」って言われましてね。

山本 いいお父さまじゃないですか。お母さまはどういう方だったんですか?

中井 奈良女子高等師範学校から日本女子大を卒業して、小学校の先生をし
ていたんですよ。だから真面目一方でね、躾に厳しかったですよ。でも、親子の
間にコミュニケーションがありましてね。とくに軍人には珍しく、子どもたちとよく
話をしていた父の姿は私自身、人と人とのコミュニケーションという意味で、
その後の人生に非常に参考になったと思っています。

山本 家庭環境だってよく言いますものね。

中井 結局、家庭なんですね。毎日の会話で親の体験を話したりするだけで
も十分だと思うんです。やはり無理に教えられなくても、子どもは自然に親の
行動を見習っていく、それが大切だろうと思いますよ。

山本 大学は当然、法学部ですか?

中井 東京帝大の法科を受けたんですが、落ちちゃったわけですよ(笑)。
それで中央大学に入りました。ところが、学徒出陣が始まり、2年半で卒業
だという。兵隊に行けば高文試験(高等文官試験)の勉強ができないですか
ら、本当に真剣に勉強しましたよ。日曜も祭日も正月もなしで。何とか昭和
18年に受かって資格を取ったんですが、今度は卒業しても召集されないもの
ですから、東大文学部に入り直しましたら、昭和19年の夏に召集令状がきた
んです。法務官の資格がありますから、陸軍では東部軍法務部に配属され、
そうして終戦を迎えました。

地味な職務欣行が弁護士人生の支えに

山本 戦後の焼け野原では、仕事はすぐにはなかったでしょうね?

中井 そうです。いよいよどうしたらいいかと思っていたら、親戚に弁護士が
いましてね、その親戚や先輩に勧められるまま弁護士になったんです。昭
和22年7月、新憲法施行の年でした。

山本 新しい日本の誕生という記念すべき年ですね。

中井 でも、私の友人は戦争でずいぶん亡くなりました。高校のクラスメー
トは30人ぐらいいましたけれど、半分は戦死してますから。ですから、弁護
士に登録したときも、同世代の弁護士が一番少なかったですよ。

山本 そうですね、戦争では軍民併せて300万人以上の方々が犠牲になっ
たそうですけれど、私の親父も原爆で亡くなったんですね。今の繁栄という
のは、その戦争を経てきて、尊い命を犠牲になさった方々のにに成り立って
いる部分がものすごく多いと、僕なんかは感じられる年代なんですよ。

中井 (戦前の)あのような状態が続いたならば、果たして日本の将来にと
って良かったのか悪かったのかという感慨はあります。敗戦によって完全に
価値観が覆されて、社会の見方が変わりましたからね。そういう意味からも、
弁護士として日本の再建にお役に立てればという気持ちは少なからずあり
ました。

山本 日弁連(日本弁護士連合会)でも活躍されて、昭和62年には藍綬褒章も
受章された。弁護士活動は何年になるんでしょうか?

中井 今年で54年ですね。ここまで続けてこられたのも、しゃかりきになって
仕事を取ってきたわけでなく、自分で言うのも何ですが、地道に真面目に職務
に対し取り組んできたことが良かったのだと思います。

新生KSDの舵取り役を担う

山本 そうして、KSDの再生という仕事をお引き受けになった。

中井 (就任前は)不祥事による悪いイメージを払拭するのは、それほど難しい
とは思っていなかったんです。しかし、世間はそんな甘いもんじゃなかった。
理事長が変わったらそれで元通りになる問題じゃない。前理事長の件もあるが、
それよりも財団そのものが悪いんじゃないか、そういう認識を多くの会員の方々
が持っていた。そうして辞めてしまうわけですよ。

山本 僕は3年間ほどKSDメッセ&フェアのお仕事をお手伝いさせていただいた
ことがあるんですが、感激したんですよ、最初。すぐにKSDに入るわって(笑)。
私の事務所は中小企業の最たるものですからね。、ところが、一連の不祥事を
知って落胆して、脱会しちゃおうかなとも思ったんですが…。いや待てよ〜あの
メッセで知り合った中小企業の社長さん、ものすごく優秀な方々が大勢いらっし
ゃるんですね。

中井 ええ、中小企業はやはり日本経済の活力の源ですからね。どういった
方々が印象に残りましたか?

山本 「ガンバレ社長」というコーナーでインタビューをさせていただいたんです
が、どの方向に傾いても、力メラがピシッと水平に固定される雲台があったり、
震災の時に最適な、泥水を真水にするペンシル型の濾過器などがありまして。
そういったものを開発している社長さんたちが一杯いるんですよね。そうだよ!
あの人たちがいるKSDを無くしてしまうわけにはいかない、もうちょっと様子を
見てみようと思ったわけです。

中井 私にとっても、(就任後は)会員数の減少を防止しなきゃならんという
ことが一番大きな仕事でした。会員の方々に対するサービスを充実させよう
とすれば、どうしても一定規模の会員数が必要です。そして、会員数を増や
すには、こういう仕事をする財団が社会に必要だということを皆さんに認識
してもらわなければならない。そのためにも今、職員が会員事業所へ出向い
て、会員の方と直接話し合い、会員受益を充実させるためにさらに何が必要
かを汲み上げているところです。

山本 私も理事長の施政方針を拝見しました時に、経理の行方、収支決算を
はっきりさせると仰っていた、そこができれば大丈夫、信頼は回復されると
思いますよ。

中小企業とともに歩む開かれたKSDを目指して

中井 昨年、監査法人トーマツによる外部監査を導入し、経理の面できちん
と対処しましたことで、会計上の不明朗な点は一新されたと思います。役員
もすべて入れ替えました。天下りも受け入れません。事業内容のチェック体
制についても、評議員会の設置、常勤監事の外部からの招聘などが実現で
きました。引き続き、財団内部のコンプライアンス(寄附行為の遵守)を進め、
社会的信頼をいただけるための努力をしていきたいと思っております。

山本 会費の行方をはっきりさせる。会員にとっては、一番明らかにしてほ
しい部分ですからね。

中井 当たり前のことですが、会員の方々の貴重な会費を使って仕事をして
いるんだから、1円も無駄にはできません。その基本的な考えを、われわれ
が常日頃から持っていれば、不信を買うことはないと思いますし、私はその
考えを絶対に曲げないつもりです。
財団には寄附行為がありますから、それを守って仕事をする必要がある。
これまでの財団は結果さえよければ、多少道をはずしても許してもらえると
どこかで思ってきたんですね。でも、そういう考え方は非常に危険なんです。

山本 確かに、そこが一番の問題だったと思いますね。

中井 中小企業の発展と福祉の増進を図るためには、会員数を増やして財団
の経営基盤を安定させ、その財源を会員の皆さまに還元していかなければな
りません。幸いうちの職員には、中小企業のために働きたいと意欲を持つ人
間が多いですから、職員一人ひとりが責任を持てば、取り組んでいけると思
います。

山本 ええ、皆さま方が力を合わせれば必ずや実現できると思います。そし
てもう一つ、メッセ&フェアのように会員が一堂に会する場があれば、それ
はきっとKSDの真の姿を知る機会になるでしょうね。是非とも実現させていた
だきたいと思います。

中井 そういう場があるのは非常にいいことだと思います。われわれは公益
団体として、会員の方の利益を最優先しなければならないのですから。
私の任期は残り1年です。その間に後継者を育て、財団の再生に向けた道
筋はつけておきたい、それが私に課せられた使命だと思っております。

山本 お身体に気を付けられて頑張ってください。今日はありがとうござい
ました。

インタピューを終えて/山本文郎氏

中井理事長に今日初めてお会いしましたが、
温厚篤実、大所高所から物事を見て判断が
できる、そして私利私欲のない人だなあとい
うのが、率直な実感。紆余曲折もあったでし
ょうが、引き受けるからにはこれだという強い
覚悟と信念をお持ちになっているように見受
けられました。「河清を俟つ」ということわざが
ありますが、KSDは大丈夫でしょう。相手のこ
とを決して貶さない、相手の立場で物事を十
分に考える中井理事長のもと、職員の皆さん
が一致団結すれば、KSDはもう一度、社会的
信頼を得て、私たち会員にとって頼もしい存
在になってくれるはずです。

山本文郎/昭和9年東京都生まれ。昭和32年TBS入社。ラジオ番組「お好み寄
席」やテレビのニュース番組のキャスターを務めた後、昭和62年から9年間、
朝のワイドショー番組「モーニングEYE」の司会を担当。誠実で飾らない人柄が
お茶の間に受けた。平成6年に定年退社し、現在はNTV「素顔が一番」の司会
などフリーアナウンサーとして活躍中。著書に「つきあい上手」など。

KSD広報誌さやか2002年3月1日号(VOL.357)より転載

撮影/木田祐二 撮影協力/明治記念館

 

中井宗夫先生のお父様:
中井良太郎大佐
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穂積陳重 穂積 重遠 穂積重行


中井宗夫先生経歴

 
経歴 

昭和16年3月 中央大学法学部法律学科入学 

昭和18年7月 高等文官司法科試験合格 

昭和18年9月 中央大学法学部法律学科卒業 

昭和18年9月 東京帝国大学文学部入学 

昭和19年7月 学徒出陣 



昭和22年 弁護士登録 弁護士開業 

東京弁護士会常議員 

日本弁護士連合会代議員 

日本弁護士連合会綱紀委員会委員長 

東京弁護士会法律扶助委員会委員長 

東京弁護士会入退会営業許可委員会委員長 

昭和39年 東京弁護士会監事 

昭和49、50年 東京弁護士会外務委員長 

昭和50年 日本弁護士連合会官庁等交渉委員会委員長
 
昭和55年 東京弁護士会常議員会議長 

昭和61、62年 東京弁護士会懲戒委員会委員長 

 
褒章等


昭和61年9月 最高裁判所長官表彰

(多年調停委員としての業績) 

昭和62年 藍綬褒章受章 

平成11年 弁護士50年在籍表彰 

 

あんしん財団法人のホームページ 

http://www.anshin-zaidan.or.jp/

まだ中井宗夫先生が亡くなってから、旧KSDが動いている。

あんしん財団 その後
 

 

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