糖尿病

 

 
2002年 1月 糖尿病歴35年というおお墨付きのある私が
現在も合併症がなくいられるのは入退院を繰り返し、
病院の定期検査は欠かさずしてたせいと思います。
最近運動も食事も余り無茶していないのに血糖値が空腹時、
食後、とても高く、体重も1ヶ月に2キロの割合で太り始め、
したがって注射の量も増えたのですが、そのインシュリンは、
また太る作用があるとかでねっちもこっちもいかなくて
また入院の予約を昨年暮れにお願いしておいたら、
病院より連絡があり31日、
なつかしい病院のベットに駆け込みました。
1週間でだいたい検査の結果の見通しがでて
、注射の量を増やしたりしても悪循環で、
種類を変えて、回数を毎食直前のにしたら、
少し血糖値も下がり始め、体重も少しながらおちる状態になったので、

これで良いということになりましたが、ここに改めて書こうと思ったことは、
「糖尿病の低血糖」が今までの私の経験と知識では、
低血糖になると「震え・異常な汗・動悸」で
それになったら自分かあるいは周りの人の手を借りて
、「糖分の補給」すれば簡単に助かったので
それについての「恐れ」はなかったのですが、今度の入院で、

全く「自覚のない低血糖」を経験して病院だから良かったものの・・・
普通自宅で「眠ったまま低血糖」になり誰も気づいてくれなければ
そのまま「あの世」へ旅立つ事を知りびっくりしました。
したがって、いかに「日頃の食生活と運動」

が大切なのと「血糖測定器」で自己管理が大切かを実感いたしました。
  2月

入院ではるかに私より若く病歴年数も少ない人が
「両足切断」・「失明」「人工透析」などなどの姿を見ますと
体質的な人もありますが、だいたい自覚症状の少ない
この糖尿病を甘く見て医者の支持に従わず、
自分の判断で無茶した結果の付けがきているのも多くあるようですので、
どのような病気でも自分の中にそれを見つけたら面倒がらずに

「良い医者」・「良い病院」を探して治療に専念して欲しいと思いました。
  検査の結果、落着いたので、
一時帰宅して日常生活してその結果も見てもらえ、
大変有難い入院でしたが、その間、新宿、渋谷での
展覧会も検査のない時間帯に見に行くことが出来ました。
「DOMANI・明日展2002」では
「田村能理子女史」「原 健氏」の作品に触れて嬉しさと
中学時代、漫画家を断念して絵描きになろうと
石膏デッサン一緒に学んだ仲間だったので
最近作品にめぐり合い記念に私も小品1点購入した「壁下 孝氏」の
素晴らしいご活躍ここに無断ですが・・
ご紹介して私の思い出と励みに致したいと思います。
美大の卒業生での活躍は少なく交流も従ってありませんが
中学・高校の時名古屋で学んだ
「藤島 奨先生」のところからとても多く画壇で
今なお続けて活躍の人が多いので少しづつご紹介したいと思います。
  3月

 

私は新聞もとっていないし、
テレビも耳で聞くだけの生活ですが
夜大好きな「プロジェクトX〜挑戦者たち」
(NHK)を見ることが出来た。
この番組は熱い思いで生活した
人間なら誰でも共感するであろうと思った。
せっかくのテレビの媒体をもっと生かした
プログラムを実行して欲しいと思った。
  8日に急にパソコンのキーボードに文字が全く打てなくなった。
四国へ行く前でサポータも留守の時期、
契約しているサポータの会社、VAIOに電話してもその状態では、
パソコンの後ろのコードを抜いてしなければいけないという。
最初、VAIOのついていたマウスもゴミがたまると
マウスの裏側を外して、綿棒での掃除が、
目が薄くなっている私にとっては玉がころがったりして面倒なものであった。
そこでサポータがArvelスクロールに変えてもらったが
「セーフモード」とかの時には、指定のマウスを使わなくてはいけないので、
電話サポートで言われるまま
こわごわマウスを取り替えてそれは無事に終わったが、
今回は、他の周辺機器にも影響が出るからと
全部のコードを外せというのだ。
とんでもないと諦めて電話を切り、掲示板やメールを読み
こちらから返信できぬ事を恨めしく何日も過ごした。
私は本体の他、「スキャナ」、「MO」、「印刷機」があり
それも自分でセットしたならば、いくらコードが多くても
1つ1つのコードのゆくえが分かるようにセットするので、
それを図に描いておけば、何とかもう一度つなぐ事が出来るが、
トップの書いたようにいわくつきの代物なので当然のごとく、
コードは全部まじりあっているので図を書くことすら出来ない。
いろいろ旅行先でいても考えたあげく、
「サトウ サンペイ氏のパソコンの本」でIBMはコードに
色分けしてあるので接続が自分でできた事思い出して、
油絵の具をコードの数だけそれぞれの本体にもつけたので
ソレをたどって図を描いておけば万一、「初期化したとき」も
自分で接続する事が出来ると思った。
まだまだ、このホームページはする事が沢山ある。
毎日、勉強して、真剣に生きられることが感謝である。
  プールの中歩いていたら、
左眼の方に「黒いもの」を感じたと思ったら、
そこから丁度タバコの煙のような輪になって、
動いて消えて、また出る・・・
本当に初めての経験だった。
近所の眼科はなぜか毎日、1日中開業していないようで、
目の事は絵描きにとって致命傷なので
昨日、月1度の定期検診で病院に行き緊急で
見てもらえたが私の場合は本当に有難い事に
糖尿歴が35年余あるにもかかわらず、目は今のところ大丈夫といわれ、
その黒いものは「老化」による、汚れの浮遊物が出るのだそうだ。
これからそうした初めての経験ばかりにめぐり合うのだと思うが、
どうぞ皆さんも今から、ご自分の健康に気をつけ、
良い病院、医師と早めに相談していただきたいと願います。
  今までの人生の中で助けたり助けられたり、
人並みに過ぎて来ましたが、
私の命の恩人でもある友人のお母さんが
四国のホームで車椅子で見えるので 
彼女とお見舞いをしていたが、
彼女も30年以上お母さんのところへ変えるだけで、
全く松山市内でも知らないくらいで、
私は彼女と知り合う前は全く四国は知らなかったので
有名な「道後温泉」に毎日通える事がとても嬉しかったのですが
正直言って他の場所も見てみたいナと思っていたところ
今回彼女の誘いで3泊4日初めて「ツアー」で
旅行して四国中バスで廻っただけでなく
「しまなみ街道」/尾道、倉敷・・・瀬戸大橋の美しい景観を見て
金毘羅さんの上まで登り「ヤッタ!!」という満足感でした。
ちなみに普通は、東京〜四国まで航空運賃
一人往復40000円かかるところ
3泊4日で朝夕食事付、バスの中もガイドの人に恵まれて
笑いがたえなく39800円でした。
これから、良い思いでに旅行が楽しい!!!!!
  22日昨日の疲れが残っていたが、私には食事と運動が大切なので
頑張ってプールに行き、水の中で1時間余歩いたり、泳いだりして
ヤット今日のおつとめ終了とかえる際に
「ウマソナ亭」のママが愛犬の「ととろちゃん」の散歩に会い
、なぜさせてもらった。
家に帰り疲れて少し眠り、目がさめて腕時計が16時だったと思うが、
さっきの続きか寝ぼけていたのか、私の愛犬は皆亡くなって、
それでパソコン始めたのに、

「あれ?犬がいない・・」と思い「キャビー」と呼んだら、
丁度パソコンをクリックしたように、キャビーがベットの下に現れた・・
「あれ?ジョンは??」と思い内心
「いないはずだ・・ソレが当たり前だ・・」
と思いつつ「ジョン」と呼んだら玄関の方からかけてきたようで
久しぶり出会い、「あれ?いないはずだと・・・思っていたが・・・
お腹空いてないか?・・あれ?

今、家には犬の食べ物がないはずだ・・・どうしてないのか・・
でもここに2匹がしっぽ振っている・・・
電気釜を急いであけたら1人前のごはんがあった。
テーブルの上にはあるはずのない中くらいのしゅうまいが2個あり、
急いでお皿にごはんを2つに分け、
しゅうまいを食べやすい大きさにちぎってごはんの上にかぶせ与えた。
ごはんは太るのであまりあげてなかったがとても喜ぶと思ったからである。
案の定、がつがつと2匹が昔のように喜んで食べている様を嬉しくも、
・・・余りの嬉しさで身がすくみ・・・死んでいなかったのか・・・
またあの幸せが続くのかしら?
とまじまじと見たが確かに
//夢ではない//食べているふくよかな体は
毛のつやも含めて確かに生きている!!
さわったら、きっと前の暖かい体温を感じる事ができる・・・
でも何となく//恐い・・そして本当に目がさめた。
抱きしめればよかった!!
お墓参りに行こう。

私を気づかって、会いに来てくれたのだ!!
いつも動物に支えられてきた。
ほんとに不思議でとても嬉しい夢であった。 
ジョン&キャビーありがとう!!
  制作終えて1杯をと夜4チャンネルを偶然見たら
パラリンピックの事で翁島鈴木武史君が
交通事故で両足切断したのも乗り切って豪快に、
またとても華麗に滑っているのをはじめてみた。
素晴らしい生き様である。
輝く顔も美しかった。
それに比べて何十年間続く
この政官両用の薄汚れた貪欲としか言いようのない不細工な顔は・・・
自分の顔を鏡で見たことがあるのだろうか?
  4月

 

私のこのマンションに越して、もう20数年になるだろう。
古いビルで当然外装などの修理が必要になっていたところ、
管理人より依頼されたので、アドバイスはしたものの、
業者を決める時「談合入札」されかかり
2年余その時の理事会と戦う羽目になった。
理事長はこのビルでの権力を持ち、
その友達のコンサルタントとで説明がされたが、
結局のところ、「無知」・「無関心」・「無責任」の人が多いのに驚くだけで、
とても簡単なからくりなのに私一人が悪者になって
1000万を1500万の手抜き工事で終わった。
苦い思い出である。
テレビを見て、与野党が金を集めて権力をむさぼるだけに専念していても、
これは国民全体が、やはりワガタニ水ひく戦法で、業務を行っている以上、
手助けになる政界に手を伸ばすのは当たり前の事でもう外務省どころか、
国全体が
「大きな伏魔殿」になっているのではないのだろうか?
子供のころ、「火の用心」と提灯をぶら下げて当番で廻ったり、
お正月に「獅子舞」が来たり、夏には「トンボ」に指先で目を回すようにして捕まえて喜んでいた時代は
テレビ、車、多大な電化製品と交換したかのように消えうせてしまった。
「人間事態」が「伏魔殿」なっているので
私は老後の楽しみと癒しをこのインターネット
の仮想空間の中で生きようと思う。
  5月

 

思い返せば、子供の頃は、内弁慶とお転婆で
男の子とちゃんばら、駒まわし、めんこで遊んでいましたが、
食事がとてもとても偏食であったため、小3年までは運動会もリレーで
足袋をはいてウサギのような走り方で1番でしたが、
小4年頃より足がもつれ、自分の足が自由が効かなくて、
転び、いつも足が痛く、重く、丁度、アンクルのあたりにどす黒い血が
たまっているようで、毎晩鈍痛で、泣きながら眠ってました。

したがって、体育は苦手で、朝礼の体操が嫌でそれを避けるために
遅刻の常習者でした。その反面、漫画家を志望してましたので
中学2年までは授業中も友達から頼まれた漫画を先生も
公認のような形で描いてばかりいました。

神経質、超潔癖、ぎすぎすに痩せていて、
いつも胃薬が必要だった私は、大人になったら、
本で調べた「胃潰瘍」で死ぬのかな?といつも思っていました。

ある時、急に胃のあたりに直径野球ボールくらいの
鉄棒で叩かれている痛みに襲われ、高校のときは、
脂汗を掻いて、転げまわり、1,2時間失神したりが続きました。

病院へ行ったら、胃も腎臓も下がっていて
「遊走腎」と言われましたが、将来、太れば固定するので今、
手術しなくてもその時は「モルヒネ」でしのぐ事にしました。

それ以来、大学生活も毎朝胃下垂のバンドをつけての生活で、
痩せたからだが、歩くたびに固定バンドがずれて、
それはいったんずれると、横になって下半身を持ち上げてつけるので、
外出先ではできなくて、大変気持ちの悪い、
また夏はガーゼでまいても汗でかぶれ子供の頃から
青春期は健康面も暗い生活でした。

このコーナーはほんの少しと作ったつもりが、沢山ありすぎて
、病院の待ち時間に整理して載せるようにしています。

今日は闘病生活の始まりの事

とにかく太りたい!!!元気になりたい!!!

その一心で少食だったのを克服して食べることに専念しましたら、
最初は、太って、パワーも出て喜んでいましたが
25才の頃にはひどい糖尿になっていました。

足が弱く、かばっていたので、車に乗るようになって、
行動範囲が広まり、またこれは、私が大好きであったため、
車の生活、肉や中華系の食事・・・当然緊急で入院致しました。
半年で30キロ太る勢いで、友人が看護婦さんであったため、
名古屋での糖尿の入院も彼女のお陰でよい先生にも恵まれてました
・・・今から25年くらい前でしょうか
急に激しい嘔吐と下痢で銀座のクリニックで
「胆石」の疑いがあると言われましたが、
それがどのようなことかも知らず私の頭は
「糖尿」の言葉だけで名古屋に帰って仕事していました。
その後、入退院で2箇所の病院にて
やはり「胆石の疑いあるが・・・違うと言う判断でした」

昭和59年9月にそうした健康状態や絵を志したくて、
それと私は、全く一人なので老後は便利なところ、
日用品も1、2分で手に入る賑やかな所と学生時代に記憶のある
この自由が丘に名古屋を全部処分して越してきました。

 

  ところが悪いこと続きで、連れてきた
愛犬、ケイとエルこのうち最愛のケイを2月に亡くし、
これから仕事を離れてしみじみと動物と過ごそうと思っていたのですが・・・

悲しみも癒えぬうち、また、ひどい嘔吐と下痢で
インシュリンの注射を打っていますので低血糖にならぬように
甘いものをとっても全部もどして見る見るうちに顔が土色になり
形相が変わり助からないと重い、

初めて女子医大に電話しましたが、あいにく初心者は
月曜日と言うことで私の家から近いところ・・・・
恵比寿のクリニックを教えてもらい、翌朝大雨の中
タクシーで駆けつけ一命を取り留めました。

名古屋から越してきたと話しましたら
「ああ、君のこと、連絡を暮れに受けている」と先生から言われ、
とても安心と嬉しく思ったことはいうまでもありません。

名古屋には月1度ダンスのレッスンで1泊2日で通い、
普通の人の1ヶ月にあたるレッスンを受けていましたので、
病院も名古屋でしたが、

今度のことで、東京の病院が必要と思っていた時
「名古屋より正規の紹介状をもらってきなさい」と
言われるまま名古屋の先生にそれを告げると

「エェーーー!きみはそこにフリーで行ったの?
僕はそこの地図まで書いて君に渡すように
看護婦に渡しておいたのだけドナーーー」と言われ、

ほんとにキョトントしてしまいました。

名古屋でそのとき糖尿での入院は早くても、
2ヶ月かかりますので顔見知りになりますし、

かなり年配のおばさん的存在の看護婦さんが
良く面倒を見てくれていましたがその人がすべて
自分を通さねば何もできないように仕組んで私を放さないように、
破り捨てていたのです。

私は、制作のテーマを「モロッコ」・「チュニジア」に
取り付かれていてただ健康の不安と、言葉に困りますので、
看護婦さんが必要で、冗談まじりに話したら

主任さんが「私もそこに行きたいから、
ついていっても良い」と言われ、とにかく同じ場所でじっくり、
出かけたいと思っていましたら、
先生よりの地図を破り捨てたおばさんが
「看護婦とは絶対深入りして付き合ってはいけない
。病気の弱みに付け込んで一生付きまとわれるから・・」
とアリガタイ?忠告してくれた言葉が
彼女そのものであったのである。

  晴れて恵比寿に通い始めたが、毎週、か2週間に1度呼ばれ
・・最初は緊急で行ったのであるからうなずけるが・・・

1年余にもなり毎回日に何度も血糖値を計らされて
その提出つまり検査用紙を買わされ・・

お腹のエコーや心臓の検査、バリウム検査、レントゲンずけになり、
いつも万額支払わされただけでなく、
私も必死に食事と日に2度プールに通った、

ただそれだけで疲れて終わってしまう生活をして
やっとインシュリンの注射がいらない状態になった時、
恐ろしいことに「君の体は、1単位の注射が必要である」
と医者から言われ、看護婦さんが
「今、金子さんに1単位でも打ったら死にますよ」と
医者にとめてくれたりしてそれが原因で行くことを止めたら、

頻繁に「あなたの体は非常に危険な状態であるから
ここに通わなくてはいけない」との電話や手紙がきて
すっかり人間不信に落ち込んでいた時、
またしても嘔吐や下痢の状態になり、
クリニックは怖いので近くの国立病院へ行ったらば、
なんと「胆石」ですぐ手術が必要との事であった。

驚いた!ほんとに驚いた!!

血糖値が高いので手術は危険と思い、
やっと尋ねて、女子医大の消化器病棟で
今までのいきさつを話したらだいぶ待たされたが
その日にお腹のエコーをとりやはり「胆石・・
手術は胆嚢がレントゲンに写らない状態だから急ぐ」との診断で、
この病院ならお願いしようとすぐ手術入院してすっかり元気になり、
そろそろ20年近くなるが・・・
消化器でなく糖尿病センターに月1度検査に通っている。

ここでついでに述べておきたい事は、

交通事故で入院の際・・
これは救急車で運ばれたので事故の近くの神奈川の病院であるが、
とてもひどい事故でどこから手をつけてよいか分からないのも
理解できるが左耳3分の2とれて縫うのも洗わずにしたため
半年近く痛みで唸る羽目になったことや、首も折れた原因でないが・・

「黄色靭帯骨化症」と言われ退院してからも
4ヶ月に1度の割で首のレントゲンをとられ2年以上の後、
位置が違っていて首は単なる「骨曲」だから心配ないが、

足がもう歩いてはいけない状態であるから、
4ヶ月に1度の割でレントゲンを撮るといわれ、
・・・もちろん事故の後遺症のためその病院に通っただけで、

恐ろしい7ヶ月味わったところだから友人の傍の
信頼おける整形の病院で見てもらいやはりなんともなく、
2度とあの病院の傍も通らない。
これが、嘘のような・・ホントの話である・・・

 

 

 

 

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